Chika’s Blog

長男の中学受験の記録

記録のため、受験を振り返ってメモします。

埼玉受験

1月上旬の埼玉受験、下見なしで臨んだためちゃんと連れていけるかどうかが不安。なんとか現地に連れていくことができて一安心。
翌日の合格発表では一般合格するも選抜クラスに入れず親は落胆、本人は「合格」の文字に小躍り。わかってないなぁ。
いらつく私に徐々に状況を理解し始める長男。でも塾で同類を見つけて上機嫌で帰ってきましたとさ。

埼玉受験から1週間

塾から突然の電話。体調不良でSS(日曜特訓)を早退。帰宅して熱を測ると38.5度。コロナか?でも抗原検査は陰性。この直前のタイミングで数日を不意に。

3日間寝込み、何もできず。本人は焦りなし。4日目から普通の生活ができるようになったようだけど、一気にペースが崩れてしまった様子。

密な親子

外部会場で模試を受けるようになってから思ったけど、みんな親子の関係が近い。埼玉受験の会場でも手をつながんばかりの勢いでお迎えして肩を抱いて帰っていく。心なしか、ぽっちゃり丸い顔の眼鏡の男の子が多いような。うちの子は文武両道の学校に入れてあげたいなぁとぼんやり考えていると、長男の方が私を見つけてくれたので一緒に帰る。「お迎えいらないのでは?」と一応確認するけれど、長男は「この状況で一人で帰ったら変でしょ。2月の試験当日も迎え来てよね。」と釘を刺される。

直前の過去問で不合格

抑えとして設定していた学校の過去問を直前に解いたら不合格。本人も親も落ち込み、急遽出願を増やすかなどおろおろしましたが、結局全落ちしたら埼玉の学校に行けばいいじゃんということで落ち着きました。埼玉合格の貴重さ実感。その後もう一つの抑えの学校の過去問を解いたら合格。長男の気持ちも持ち直しました。この狼狽を先に経験しておいてよかった。出願戦略の結論が出たので、2月2日の夜に余計にうろたえるおそれがなくなりました。と思っていたけれど…。

連戦

うちは午後受験をしない日程を組んだのですが、それでも5日間の連戦日程は、小3の次男に言わせると「過酷だねー」。
不測の事態に備えて親も現地で待機というのがデフォルトだけど、親がコロナにかかるのも嫌だし、5日間ちゃんと起こして連れていく任務もあるし、体力に自信がないので毎日いったん自宅に戻りました。

2月1日・2日

2月1日は「都会のチャレンジ校」でしたがそれなりの手ごたえがあったようです。過去問も調子よかったもんね。しかし2月2日の朝Webで結果を見ると不合格。私の顔も曇ります。
2月2日の「都会の抑え校」の受験を終えた長男は、1日校の朗報を期待しているようでしたが、ここで結果を伝えません。3日の「近所の本命校」に集中してほしいと思う親心。
2日校の受験者数に圧倒され手ごたえも悪く自信のない長男は、余計に1日校の結果がもう出ているのではないかと期待して午後の勉強が手につきません。
「合格発表は見ないことにしたから!今日手ごたえ良くなかったんでしょ!明日が本番でしょ!」と言うと長男は涙一粒ポロリ。「じゃあ4日の受験申し込んでよ!」「もう申し込んでるわよ。」もう不合格だったと察したのかもしれません。1日校は合格発表の当日に現地で手続だと知っていたはずだし。

だからと言って死に物狂いに勉強したりはしない長男。そういう男よね、彼は。受験後に勉強すればするほど、1日目2日目の間違いが露呈して、どんどん気落ちしていく様子の長男。勝負に弱いなぁ。

夫から提案があり、2日校の夜の合格発表は見ずに寝て、3日の朝送り届けてから見ることにしました。不合格の可能性が高いが、送ったその足で2日校に行けば点数を開示してもらえます。そこで点数が大幅に満たないのであれば、5日の受験校を変える必要が出るかもしれません。

反省点(結果論祭り):

・本人に不合格を伝えない(可能性がある)のであれば、合否に応じて出願するというシナリオ自体を伝えるべきではありませんでした。

・似たような偏差値帯の学校を5校受験するシナリオを組みましたが、1日2日に落ちた場合の精神状態はきわめて悪いため、2日に気楽に受けられる学校を持ってくるか、2日の結果に応じて4日5日の出願校は保守的にするパターンも事前に考えるべきでした。

・抑え校の過去問をもっと解いておくべきでした。慣れていない問題を本番に解くのは博打に近く、抑えとして機能しない。

・偏差値表をもっとよく見て受験校を検討し「進学してもいい」と思える学校を増やしておくべきでした。よく見れば1日は別のチャレンジ校でもよかった、午後受験する可能性のある学校を見学しておけばよかった、4日5日の保守的出願校を見学しておけばよかった、2月1日の偏差値が低いからと侮っていた学校は募集要項をよく読むと大部分の合格者を2回目の2日の試験で決めるので、実は入学後の母集団は2日目の偏差値どおり頭いい学校だったのでは?、などなど2月2日の夜に続々と発見が・・・。

2月3日

ちょっと気落ちした表情で長男は3日の「近所の本命校」の受験に臨みました。できるだけ平常心で長男を送り届けてから2日校の結果を見たところ、合格。
これなら先に教えてあげればよかったと悔やむ夫。いや、合否見ないようにしようと言ったのあなただから。

『2日の「都会の抑え校」に受かったのだから、4日の「近所の抑え校」は受けなくてもいいんだよ?もう休んでおいて4日の朝に「近所の本命校」の結果を見て、ダメだったら「都会の抑え校」に進学するという案でもいいんだよ?』甘い言葉をささやく夫。
確かに偏差値的にも実績的にも4日校より2日校の方が上だし、登り調子の学校なので、夫の中で「都会の抑え校」の株が急上昇。・・・でもさ、通学時間が30分以上違う。毎日の30分×往復×6年間はデカいぞ。

長男は受かった2日校をほめたたえられて上機嫌。もう4日は受ける意味ないかもなどと言いながら、受験料払っちゃったからと、とりあえず「近所の抑え校」も受験するとの判断。

2月4日

長男は昨日の朝とは打って変わって明るい表情で受験に向かいます。朝から「近所の本命校」の合格発表がされていますが、受験を終えてから長男が自分で確認。ガッツポーズの合格でした。翌日4日校も無事合格。これにて中学受験終了。

中学受験は親の愛情だったか?

夫にせっつかれて長男の勉強を見張り、夫にせっつかれて長男の理社の底上げに取り組み、長男に怒るときには「これだけしか進んでないの?これじゃあ私が○○(夫)に怒られちゃう」というセリフが出てくる始末。中学受験は愛情だったかと聞かれれば、自己保身が7割。

夫には教育関係の知り合いもいて、子供の中学受験の結果を伝えたかったんじゃないかな。中学受験は愛情だったかと聞かれれば、もちろん愛情だったでしょうけれど、実際のところ見栄もあったでしょう。

それでもね、授業が崩壊していた公立中を経験した私からすると、長男には粒ぞろいの学友に囲まれた平和な6年を過ごしてほしいと思うよ。