Chika’s Blog

5年間の塾生活

長男の5年間の塾生活を振り返ってみます。

長男は知的好奇心が強い方ではなく、本を全く読まず、会話もほとんどしないスポーツ男子。落ち着いていて熱くならず、飄々としています。
塾の家庭学習に意欲的に取り組むことはありません。「この問題解きなよ」と勧めても「先生にやれって言われていない」と言い張って追加の勉強をとことん避けようとします。そんな男子の塾生活。

 

入塾は2年生

民間学童を辞める代わりに入塾しました。当時大手塾の中で高学年になってもお弁当不要な塾はサピックスだけだったのでサピックスを選択。入塾テストは特に準備なくパスしたものの、偏差値は常時40台で最下位クラスとその1つ上を往復する日々。3年生になっても成績は変わらず。
私もこのころは「親は子供の伴走者」などのんきに考えていました。

「沿道で応援するのではなく一緒に走らねば」とか言ってる。子供が走り方を知らないってことに気づいてない私。むしろ親が主役なんだと気づくのはもう少し先のお話。

 

コロナ禍の4年生

コロナが始まり学校が休講になり、リモートワークと子供のお世話でてんやわんやな日々でしたが、毎週何時間かかけて子供に教えていたようです。

このころから、算数は夫、国理社は私という分担。理社が入ってきたので4科の偏差値は50台となりました。
こうやって文章にしてしまえば、教える親と素直に聞く子というイメージかもしれませんが、実際は口論が多く、ちょっと教えては口げんかしてシャットダウンということが多かったです。テキストも問題も読んでくれないし、答えも書いてくれないし。ご機嫌を取りながら私が読み上げて長男がベッドに寝転がりながら口頭で回答し、私が答えを書きこむという完全介護型の勉強をしていた頃です。

ポケモンにトレーニングを施し「行け!ポケモン!」と指図すれば、ポケモンが戦ってくれる、、、という図式ではないということに気づき始めたのがこのころ。トレーニングすらままならない。

 

小5で志望校が決まる

どうにも偏差値が上がらないので、新御三家は諦めて、近所の学校に狙いを定めました。私から見ても、こっちの方が長男に合ってる気がする。とはいえ近所の学校も持ち偏差値よりだいぶ上。

成績は変わらず、盤石の中盤。ボリュームゾーンです。
小5の秋、とうとうテレビのアンテナ抜きました。

このころには、子はガンダムで親がパイロットという図式で納得し始めました。モビルスーツの性能×パイロットの技量で戦う中学受験。長男のモビルスーツの性能には偏りがあるので、パイロットの技量で戦い、勝利を目指します。

サピックスのテキストをコピーして繰り返しやらせたり、平日も夜8時半から11時まで勉強に付き合うような生活。必然的に全てのテキストや問題に親が目を通し、解くことに。マンスリーテストから帰ってきた子供のリュックに飛びついて解き直しする親。

塾の宿題が増えてきたのでつべこべ言わずにやるしかないという雰囲気がでてきて、長男も親から指定された最低限の家庭学習をノロノロやるようになります。自主性は皆無。

 

小6、着地点が見え始める

時折αに上がるも、すぐ戻ってきてアルファベットに落ち着く。成績は相変わらずのボリュームゾーン。夫の献身的な指導もあって算数だけはできるようになった。理社は本人も好きなので、まあまあできる。国語は壊滅。偏差値20台30台。国語Bは捨てました。テキストは箱に放り込んだまま出てくることもない。

相変わらず親子喧嘩が多く、もう受験やめてしまえなんてセリフが飛び出すことも多々あり。あと残り2か月なんだから、お互い譲り合って勉強しようよ、という仲裁でようやく喧嘩が減りました。小競り合いは受験前日までありましたが。

マンスリーの偏差値は中盤のまま、外部の入るサピックスオープンでは徐々に偏差値を上げてきました。一度はあきらめた入塾時のぼんやりとした志望校を「都会のチャレンジ校」、小5で狙いを定めた近所の学校を「近所の本命校」として受験することになりましたが、受験する学校は抑え含めて通常の持ち偏差値より上という挑戦的な受験戦略となりました。

 

アプローチ

もっと自主的に勉強する意欲あるお子さんなら、ここまで親が介入する必要はなかったでしょう。自主性が強すぎる場合や親が時間を工面できない場合には、復習に家庭教師や個別指導を追加する必要があったでしょう。中学受験のアプローチは千差万別十人十色。自分たちのアプローチが正しかったとは思えませんが、正解はないのだと思いたいです。